構造改革には本物の改革と、そうでない改革がある
中央集権を改める方向での構造改革や規制緩和は必要なことです。しかしそうした日本の構造改革と、小泉竹中構造改革は、まったくの別物です。ここを明確に区別して認識する必要があります。
「果たして小泉竹中構造改革は正しかったのか」正面から問うべき
構造改革や規制緩和自体は、官僚独占を破って民間活力を生むわけですから、悪いことではないはずです。今では構造改革を支持しなければ、「非国民」とすら思われるし、下手すれば「守旧派」として村八分にあいかねないほどです。戦前みんながアメリカやイギリスのことを「鬼畜米英」と頑なに信じ込んでいて英語を敵性言語として禁じていた状況とまったく変わりません。
問題は「小泉竹中構造改革路線が果たして正しかったのかどうか」ということであって、例えば大新聞のうちの一紙でも「果たして小泉竹中構造改革は正しかったのか」と、社説の方針を180度転換すれば話は変わってくるでしょう。しかしそれをしてしまっては、論説委員のクビが危ないかもしれません。
つまり、ここではっきりしておかなければならないのは、日本のやらねばならない構造改革と、小泉竹中構造改革は、まったくの別物であるということなのです。
本当の構造改革と、小泉竹中構造改革は、まったくの別物です。ここを明確に区別して認識する必要があります。